城東支部

城東地区

歴史×開発で発展を目指す「足立区」
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河川に囲まれ自然と歴史あふれる「足立区」

足立区は隅田川と荒川に挟まれており、沿岸には自然の景観を望む一方、歴史的な建造物や史跡を有し、多彩な魅力のある地域となっています。
總持寺(そうじじ)、通称「西新井大師」は空海(弘法大師)に由来する歴史ある寺院です。「関東三大師」の一つに数えられ、毎年初詣の参拝客で賑わっています。また、牡丹の名所としても知られております。
竹ノ塚駅周辺の地域には、かつて多くの古墳が存在していました。現在では源氏が白旗を立て、戦勝祈願をしたという伝説が残る白旗塚史跡公園史跡のみとなっています。
JRや私鉄の乗り入れるターミナル駅として栄えている北千住駅周辺は、江戸時代から物流や商業の拠点を担ってきました。1594年に当時隅田川にかけられた唯一の橋である千住大橋が完成し、東北へと延びる奥州街道が足立区を通り、その後東照宮が完成することで日光街道ともつながりました。「千住宿」はそれぞれの街道の初宿として、多くの旅人でにぎわいました。

  • 河川に囲まれ自然と歴史あふれる「足立区」
  • 河川に囲まれ自然と歴史あふれる「足立区」
  • 河川に囲まれ自然と歴史あふれる「足立区」

続く駅前や地域の「開発」。高まる発展への期待

平成24年4月、北千住東口のJT宿舎跡地に東京電機大学が移転してきました。
約5,000人の学生、学校関係者等が移動してきたことで、付近の商店街にはビジネスチャンスが生まれています。
西新井駅周辺はかつて東武鉄道西新井車両工場や日清紡績の工場がありました。それぞれの工場が廃止された後、再開発が行われ、現在では大規模商業施設やマンション、公園等に代わり、住宅地としての再出発を切っています。
千住大橋駅周辺地区でも同様に、株式会社ニッピ・株式会社リーガルコーポレーションの工場跡地を利用して、新たなまちづくりが行われています。
このように足立区の様々な場所で都市開発が行われており、新しい「足立区」の姿が生まれつつあります。

  • 高まる発展への期待

整備された交通網を活かし、
若さとブランド力で活気づく「江戸川区」
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東西南北に走る交通網の利便性を活かして発展

江戸川区は東京都の東端に位置し、江戸川を挟んで千葉県と隣接しています。
面積は49.09平方キロメートル(区部4位)で東西に約8km、南北に13kmと荒川・江戸川流域に南北に細長い平坦地として広がっています。
東京都心と千葉県を結ぶJR・私鉄の鉄道網が区内を東西に走り、道路網は東西に京葉道路、南北に環状7号線が主要道路として走っています。
東西南北に走る交通網が整備され、交通の利便性が高い立地を活かし江戸川区の産業・事業は発展してきました。
区の人口は67万8,000人を超え(平成27年1月期)区部5位の多さです。増加傾向にある人口動態でさらに特徴的な点は、区民の平均年齢の若さです。
中央区と並んで区民の平均年齢は、東京都の平均を2歳ほど下回っています。また平成5年の調査以来連続して、合計特殊出生率が23区で一番高く、出産子育て世代にとって暮らしやすい点が区の活力につながっています。
また区内の公園の面積は23区内で最も広く、暮らしやすい区として人気を呼んでいます。区の南端に位置する葛西臨海公園は大観覧車や水族館、都内唯一の区立ホテルを有し、自然に恵まれ区民・都民の憩いの場となっています。

  • 葛西臨海公園の大観覧車

    葛西臨海公園の大観覧車

歴史ある「江戸川ブランド」に「新しさ」を取り入れ産業の発展を目指す

江戸川区の産業はサービス業・卸小売業・製造業などが中心となり構成されています。
また練馬区・世田谷区に次いで農業も盛んです。製造業では事業所数こそ減少傾向にありますが、引き続き重要な産業として様々な振興策が行われています。製造業を中心にビジネス情報交流の場として、「産業ときめきフェアin江戸川」は昨年も130を超える団体が参加し、盛大に実施されました。
また「えどがわ伝統工芸産学公プロジェクト」では歴史ある江戸川の伝統工芸の新しい取組みとして、美大生が伝統工芸品をデザインし商品化する事業を行政が支援しています。
船堀エリアを中心に、明治時代から金魚の養殖が行われ、愛知県弥富市、奈良県大和郡山市と並んで、金魚の日本三大産地の一つに数えられています。
また、江戸川区は東京都内にありながら全国でも有数の小松菜や花卉の産地です。区の西部に位置する小松川の地名にちなんで、徳川8代将軍吉宗により名付けられたとされる小松菜は、区内に20以上の直売所があり、花卉とならんで江戸川区の農業を代表する作物です。区内の飲食店により小松菜を使ったメニューや加工品の開発が盛んに行われています。
伝統工芸や農作物に代表される歴史ある「江戸川ブランド」に新しい要素を取り入れることで、産業の発展を目指す取組みが積極的に行われています。江戸川区の今後の発展が期待されます。

  • 第16回「産業ときめきフェア」

    第16回「産業ときめきフェア」

  • 特産の小松菜を活かした商品展開

    特産の小松菜を活かした商品展開

  • 金魚の養殖場が多い船堀駅の壁画

    金魚の養殖場が多い船堀駅の壁画

人情×地域資源×ものづくりで存在感を示す「葛飾区」
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川の手エリアに発展した人情に厚い下町

葛飾区は東京の北東部に位置し、23区で7番目の広さを誇ります。荒川と江戸川に挟まれた川の手エリアに発展。
戦前までは農業が主な産業でしたが、戦後の近代化の波と地価の安い農地の転用、水運に恵まれた立地などの条件が揃い工業地化が進みました。
人口約44万人は近年増加傾向にありますが、昼間の人口は夜間の約8割となり、都心へのベットタウン化が進んでいます。
東京の下町として発展し、古くからの住民が暮らす街では、人情が大切にされてきました。今後は区外から移転してきた新しい住民と協力した街づくりが課題となります。

  • 荒川の土手 川を境に千葉県と接する

    荒川の土手 川を境に千葉県と接する

地域資源を活用した集客を試みる商店街

葛飾区には全国的に認知されたキャラクターを地域資源として集客する商店街があります。柴又エリアは映画「男はつらいよ」の舞台となり、柴又帝釈天は区内有数の観光スポットになっています。主人公の寅さんは全国的に認知されたキャラクターとして集客に貢献しています。柴又駅前に立つ銅像が観光客を出迎えています。
亀有エリアは少年マンガ雑誌で連載中の「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の舞台として注目され、主人公の両さんは寅さんと並ぶ葛飾を代表するキャラクターです。亀有駅近辺の商店街には合計11体の銅像が立ち、「銅像めぐりマップ」による商店街の回遊を促しています。四つ木エリアには葛飾区出身のマンガ作家高橋陽一の代表作「キャプテン翼」の主要キャラクターの銅像が設置され、街を挙げての集客を行っています。
立石エリアでは、戦後のヤミ市から続く古い商店街の街並みを活かした「昭和」イメージで集客を行っています。所謂「せんべろ」と呼ばれる「千円でベロベロになるまで酔える」ディープな居酒屋街が立石エリアを有名にしています。多くのメディアにも取り上げられ、区外や他県から来る常連客も多く、葛飾区の地域資源として集客効果を発揮しています。

  • 立石仲見世商店街の呑んべ横丁

    立石仲見世商店街の呑んべ横丁

小規模・多業種の工場が集積し「ものづくり都市」を形成

葛飾区の工場数は大田、足立、墨田区に次いで23区内第4位に位置します。工場の大半は小規模工場で、従業員3名以下の事業所が約6割を占めます。住居と併設された工場が多いのも特徴です。一方で1事業所当たりの出荷額は23区内では下位になります。また工場の業種は多岐にわたります。製造する業種別には金属製品と一般機械が多く、次いで第3位は「その他」の業種が占めます。葛飾区では小規模・多業種の工場により、都内有数の工業集積地帯は形成されています。
2007年から続く「葛飾町工場物語」は、ものづくりの活性化のために区内の工場で製造された優れた製品・技術を「葛飾ブランド」として区が認定し、製品が生まれたエピソードを漫画で紹介するユニークな情報発信を行っています。2014年度の認定製品・技術は11件で、「高精度デジタル圧力計」や「国産の赤ちゃん用歩行器」など、多岐にわたります。この点でも、葛飾の多種多様なものづくりが実証されています。
今後は多業種の特徴を活かし「あらゆる製品や部品の製造・加工が全て葛飾区内で完結できる」を最大のメリットとしながら、新製品の研究開発やものづくり人材の育成が、発展のカギとなります。2013年春には金町エリアに東京理科大学が誘致されました。街の活性化や経済の発展とともに葛飾のものづくりとの産学連携が大きく期待されます。

  • 金町の東京理科大学葛飾キャンパス

    金町の東京理科大学葛飾キャンパス

臨海副都心と東京オリンピックで
さらなる発展を目指す「江東区」
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水利を活かし江戸期から物流、工業で発展

江東区は東京23区の中心からやや東に位置し、人口は約49万3,000人(平成27年1月期・区部8位)です。湾岸エリアの開発に伴い、さらに人口は増加傾向にあります。平成23年の人口を100%とした場合の増加率は東京都全体の増加率を大きく上回ります(図表1)。面積は39.99平方キロメートル(平成25年・区部6位)です。江戸時代から行われている埋め立てにより拡大してきました。
江東区は昭和22年、当時の深川区と城東区が合併し誕生しました。名前の由来は、隅田川の東に位置するという地理的な意味と、「江」は深川、「東」は城東という旧区名の意味を含んでいます。
江戸時代より現在に至るまで、隅田川や東京湾の水利を活かし発展してきました。江戸の市街地に近く水運の便に恵まれ、埋め立てに適した広い湿地帯があったことが発展の要因でした。江戸時代には河川や掘割に木場や倉庫、問屋などが立ち並び、明治、大正時代には、紡績、製材、鋼鉄、機械などの工業が発達しました。

  • 川を挟んだ木場方面の様子

    川を挟んだ木場方面の様子

  • 図表1. 東京都平均を上回る人口増加率

    図表1. 東京都平均を上回る人口増加率

工業の街から住宅地、臨海副都心として発展

昭和30年代後半になると、多くの工業が区外に転出し、跡地には集合住宅が建設されるなど住工混在の都心に近い町として発展してきました。区の歴史をさかのぼると、大正12年9月1日の関東大震災、昭和20年3月9・10日の東京大空襲、同24年8月31日のキティ台風上陸で壊滅的な被害を受けました。 現在では、職・住・商が間近に揃い、臨海副都心が開発されるなど、たくましいまでに発展してきました。
一方、河川や運河が縦横に流れる地形から、親水公園が多数整備され、水と緑の豊かな、うるおいとやすらぎのあるまちが形成されています。
また、輸送路としての使命を終えた運河は、現在では親水公園として生まれ変わっています。古くからの名所も多く、深川・亀戸では、深川不動や亀戸天神など多くの観光客を集めています。

  • 湾岸エリアにある東京ビックサイト

    湾岸エリアにある東京ビックサイト

大型商業施設の進出や情報通信産業が拡大、東京オリンピックによる街づくりに期待

江東区の人口増加数は23区中常にトップとなっています。この圧倒的な人口増により、大型商業施設の新規参入やコンビニなどが増加しています。なかでも人口増が著しい臨海部や中南部へ、大型商業施設は集中する傾向があります。また、サービス産業の代表である情報通信関連業の伸びが顕著です。この10年間の事業所数は2.9倍、雇用者数も2.6倍と大幅な増加となっています。
2020年の東京オリンピックを控え、江東湾岸エリアでは会場予定地を中心に国際都市、環境都市としての発展を基本計画とした街づくりが進められています。これにより江東区の今後の発展が期待されています。

  • 若洲と中央防波堤外側埋め立て地を結ぶ「東京ゲートブリッジ」

    若洲と中央防波堤外側埋め立て地を結ぶ「東京ゲートブリッジ」

ものづくりを中核に、
国際観光都市への発展を目指す「墨田区」
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隅田川とともに発展してきた川の手の街

墨田区は東京都の東部に位置し、23区で17番目の広さです。区の西側を流れる隅田川とその川堤を意味する墨堤から1文字ずつ取り、昭和22年に墨田区と名付けられました。
下町エリアを称した『川の手』は1983年の流行語大賞の新語部門の表現賞を受賞し当時の墨田区長が代表して受賞しています。人口25万の都市には、大企業の本社も多く、昼間の人口は夜間の1.1倍以上になります。
2012年春に開業した東京スカイツリーは区のほぼ中央に位置し、観光だけでなく墨田区の文化・情報発信と経済の中心となることが期待されます。両国国技館、隅田川花火大会、墨堤の桜並木や水上バスなど隅田川沿いには国内外にアピールできる観光資源が豊富です。

  • 墨田区の中央に位置する東京スカイツリー

    墨田区の中央に位置する
    東京スカイツリー

ものづくりを核とした街づくり

墨田区は江戸時代から続く「職人の街」であり、ものづくりの街として発展してきました。工場数は太田区、足立区に次いで多く、その8割が従業員9名以下の小規模な事業所です。都心の大消費地の多様なニーズ、特に生活必需品の需要に応えるため多種多様な製造技術が育まれました。
明治20年には鐘淵に「鐘淵紡績(カネボウ)」の工場が創業するなど、隅田川の水利を活かした地場産業から発展し多くの工場が立ち並び、近代工業発祥の地と呼ばれるようになりました。
戦後の高度成長の波に乗り、ピーク時の昭和40年代後半には工場数が9000を超えました。その後、工場の拡大に伴う郊外移転などで事業所数は減りましたが、ものづくりは今も墨田区の主要産業です。
墨田区はものづくりを核とした「すみだ地域ブランド戦略」を掲げ、「すみだ3M運動」、「地域ブランドの認定」、区内の製造技術と国内のプランナーのアイデアをマッチングさせた「オリジナル商品の開発」、「伝統工芸保存の支援」などを実施しています。東京スカイツリーに隣接するソラマチタウン内の「すみだまち処」では来訪者に対し墨田区のものづくりの展示・販売や製造体験が行われています。

  • 墨田区のものづくりの発信基地「すみだまち処」

    墨田区のものづくりの発信基地
    「すみだまち処」

観光資源を活用し国際観光都市へ発展を目指す

墨田区は国際的な観光資源が豊富です。両国エリアには国技館や江戸東京博物館。隅田川沿いには春の桜並木、夏の花火大会、また年間を通し水上バスが運行し、多くの来訪者を迎え入れます。
2012年春開業の東京スカイツリーはそれらの核となる存在で、複数の商業施設で構成されるスカイツリータウンは開業後2年半で累計来場者数が1億人を超えました。立地する押上エリアを中心に、南北に3ルートの循環バスがワンコイン100円で区内の観光地(すみだ百景)を結びます。
海外からの観光客を引きつける魅力的な施設を多く有する墨田区は、国際観光都市を目指しています。観光客の来訪を街づくりの重要な機会と捉え、外国人観光客を誘致するための環境づくりを行っています。独立行政法人「国際観光振興機構(JNTO)」の認定する、「外国人観光案内所」は都内に25か所ありますが、墨田区はその内の3か所を有しています。
また観光で訪れた外国人に、ものづくり技術をアピールし墨田区の製品が世界へ進出する、観光とものづくりの相乗効果も期待されています。

  • 国技館は大相撲以外のイベントも実施される

    国技館は大相撲以外のイベントも
    実施される

  • 「すみだ百景」を結ぶ循環バス

    「すみだ百景」を結ぶ循環バス

(文:波多埜 宏幸)

城東5区の産業構造についての調査資料

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